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日本の家族の認知症 介護保険の認定結果を待っている間にもサービスを受けられます

Photo ACより引用

 

こんにちは、ニュージーランド在住のManaです。

 

先日のブログで、介護保険の申請をしてから利用できるまでには数週間の時間がかかる旨を書きました。

 

前の記事はこれです。

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認定申請をして、認定調査をしてくれる市の職員が家に来てくれた所まで書きましたので、今日はその続きを書きます。

 

主治医の意見書

介護保険を利用できるようにするためのプロセスは、認定申請→認定調査→主治医の意見書→審査判定です。

 

主治医の意見書というのは、必ずしも「認知症の治療」を受けていなければならないという訳ではありません。

 

もし、かかりつけの病院やクリニックがあれば、という範囲のようです。

 

実際のところ、私の母は、認知症検査(テスト)を一度も受けた事がありません。何故か、それをするくらいなら死んだ方がマシだと拒み続けているのです。

 

母は糖尿病があるので、その治療で通っている病院の先生に認知症の旨を伝え、薬の服用やインスリン注射は父がコントロールしている(管理している)と、一筆書いてもらいました。

 

この「主治医の意見書」の用紙は、認定申請をした後、市役所から直接病院へ送られます

 

なので、主治医の先生には「現在、介護保険の申請中」であることを一報しておく事がのぞましいと思います。

 

審査判定(認定結果)を待っている間に受けられるサービス

介護保険の認定申請後、認定結果(審査判定)を待っている間、「暫定」として利用できるサービスがあると市役所の職員の方からアドバイス受けので、高齢者支援センターに連絡しました。

 

改めて、認定結果には、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5があると説明を受けました。

 

要支援1、要支援2の場合は高齢者支援センターの保健師さんが担当し、要介護1〜5の場合は介護福祉士のケアマネージャーが担当して、国の介護保険のどのようなサービスが受けられるかアドバイスし、サポートをしてくれます。

 

電話で、認知症の症状について概ね説明したところ、非該当ではなく、何かしらの支援が受けられるだろう言われました。

 

私の母の場合は「暫定」ですが、保健師さんとケアマネージャーが連携を取り、2人が一緒に家に訪問し、母と面談して、デイサービスや訪問看護の提案をしてくれました。

 

面談中、案の定、質問に対して母は昔の記憶で軽快に受け答えしていました。自動車運転免許証はとっくに返納していて自動車もないのに、週に3回くらいは運転して買い物に行っているなどと言い、周りを驚かせました。

 

市の福祉課と高齢者支援センターは週に数回ミーティングしてると聞いていたので、母のケースも情報シェアできてると勝手に思ってしまいましたが、市役所の調査員に提出した認知症の書類や話は全く共有されていませんでした。ゼロから説明が必要でした。

 

保健師さんとケアマネージャーが帰った後、母は「押し売りを家に上げてはいけない、あの手の人たちは危ない」と、ピントがズレた事で怒っていました。

 

私は、普段母の世話をしている高齢の父のことも心配になり始め、訪問看護をお願いする事にしました。

 

訪問看護は、糖尿病のお薬手帳をチェックしたり、血圧を測ったり、爪を切ってくれたり、一緒に散歩に出かけたり、洗髪のお手伝いをしてくれるというものでした。

 

プラス、母の面倒を見ている父に関しても健康チェックしてくれると言う事でしたので、ニュージーランドへの帰国が迫っている私としては、とても心強いサービスと感じました。

 

母は、昼食前の時間帯になると、鍋の火をつけて放置したり、フライパンの空焚きをして放置したりの行動があった為、父は病院などで外出したとしても、午前中のうちに帰宅するようにしていました。母から目が離せないのです。

 

父は自由になる時間がなく、食料品以外の買い物が出来なくなっていました。

 

コロナで私が帰国できない時期もありましたし、父は衣料品など買いに出かける時間もなく、父の下着がボロボロに擦り切れているのを見て、私は涙が込み上げました。

 

教育公務員だった父は、教員、教頭、校長、教育委員会のトップまで勤め上げ、私の最も尊敬する立派なお父さんです。

 

私の想像を超える苦労を垣間見た気がしました。

 

私は、この一時帰国で立てていた予定を全て変更して、必要な物を買い揃えたり、今後どのような事ができるか調べ、両親と一緒の時間を過ごす事にしました。

 

母がデイサービスを利用できれば、父に自由な時間が出来るのですが、認知症の場合、そう一筋縄には行きません。

 

ケアマネジャーさんも、あの手この手を使って、ガーデニングが好きだった母を連れ出そうと試みてくれますが、母は全て拒否してしまうのです。(介護やサポートを拒否るのも、認知症の1つの症状です。)

 

審査判定(認定結果)

なかなか苦戦している中、私の帰国の時期が来てしまい、心残りのままニュージーランドに戻ることになりました。

 

訪問看護のサービスが始まって3週くらいしたところで、あまりにも母が拒否るので、父がお手上げになりました。

 

母は自分が認知症であるとは微塵も思っていない(認めたくない?)ので、看護師さん(他人)が家に上がるの嫌だと大騒ぎになるのだそう。

 

私も父も、振り出しに戻った気持ちになりました。

 

その頃、待っていた審査判定がようやく出て、認定結果は、要介護3でした。

 

ケアマネジャーから、特別養護老人ホームはなかなか空きが出ず、待ち時間が長い(1〜3年程度)ので、申込だけでもしておいた方が良いと勧められましたが、父はまだ心の準備が出来ていないし、自分が面倒を見れると言い見送る事になりました。

 

私が滞在している間、介護の負担でいつも緊張している父の気が緩んだのか数日間発熱がありました。よっぽどの負担なんだと想像します。

 

全く弱音を吐かない父が、長年付き添った配偶者に、老人ホームに入ってもらう事は申し訳ないと考えている父の気持ちも痛いほど分かるので、その時は「心の準備が出来ていない」という父の言葉を受け止めました。

 

しかし、認知症はどんどん進行し、家族が疲弊して行くの見過ごす事にならないよう、今のうちに何かしらのアクションを起こさないといけないと、南アフリカ人の旦那さんに言われました。

 

認知症だった義母を世話をしていたのは、旦那のお姉さんでした。私の父同様、なかなか施設に入れる決断ができませんでした。お金の問題ではなく、心の問題です。そうこうしているうち、義理の姉は介護疲れでメンタルが病み始めていました。

 

旦那さんはこんな経験があるため、私が日本へ一時帰国する事に理解があり、とにかく父の負担を軽減してあげて欲しいと、再度の帰国を勧めてくれました。

 

日本への一時帰国に対して、理解があって本当に有り難い事です。

 

続きをまた書きます。 

長くなりましたので、今回はこの辺で。

 

最後に

当たり前ですが、介護保険は、介護が必要な人のためにある制度なのですが、認知症で介護を受ける事に関してはとてもグレーゾーンになっていると感じました。

 

肩が動かない、歩行が出来ないなど身体的に介護を要する場合、認定は明らかですが、認知症の場合「脳の病気」であって、高齢で動きが遅くても、身体は動かせる場合が多いからです。

 

国のサービスを受けやすいのか受けにくいのかよく分かりません。

今後の課題なのですかね。。。

 

どうしてそう思ったかというと、例えば、認知症の母が、冷蔵庫の中にある野菜や果物を全てカットして湯をかけて放置したり、卵を見ると全てを一気に茹でようとポットの湯につけて放置したりするのですが、家族が困るだけで、別になんとかなってしまうのです。

 

他人が窓から家の中を覗き込んでいるという妄想があり、日中でも厚手のカーテンして暗くしたり、暑い日でも窓を閉め切り(熱中症の危険あり)にするのですが、窓の開け閉めのイタチごっこにはなりますが、なんとかなります。

 

玄関先に置いているお花のプランターが盗まれた、近所の子供が庭に入ってくるなどの被害妄想もあり、障子の隙間から外を見ていますが、別に誰にも迷惑を掛けません。

 

着替えを用意していても、下着以外は全く着替えず、数ヶ月同じ服を着用していても、誰にも迷惑かけずに、なんとかなってしまいます。

 

ヘアサロンに誘っても、なぜか散髪を拒みます。かなり長髪で自分での洗髪が困難なため、結局のところ洗髪自体をしなくなりましたが、それでもなんとかなるんです。

 

同居の家族がどんなに困っても、本人が自分で排便が出来る(身体的に下着の上げ下ろしが出来る)、入浴できる(身体を洗っているかどうかは別として、自分で脱衣して浴槽に浸かる事ができる)、徘徊する事がないとなると、認知症で特別養護老人ホームに入れる可能性は低いのではないかと心配が募ります。

 

本人が拒否っても、少し強引でも、散髪やお着替えをして認知症になる前と同じような生活にしてあげたいなと思う気持ちと葛藤しています。

 

初期の頃は、物忘れが激しい、同じ話や同じ質問のループが絶えない、身だしなみに無頓着、いつもしている事をド忘れする、戸締りを忘れる、短気になるなどありました。

 

離れた場所に住んでいること、コロナで会えなかった期間もあり、サインを見逃してしまった事が悔やまれます。

 

父の負担を軽減し、母には安定した心で暮らしてもらえるよう行動を起こして行こうと思います。

 

それではまた。