
こんにちは、ニュージーランド在住のManaです。
「もし、遠い異国の歴史本に自分の名前が載っていると知ったら、あなたはどうしますか?」
南アフリカにいる義姉から、ある本に家系図が載っているので、「見てご覧」と言われ、いくつかのページの写真がWhats appに送られて来ました。
そこには、自分たちに関わる鳥肌が立つような衝撃的な情報が含まれていました!!!
まず、本の詳細とあらすじを、簡単に紹介させて下さい。(もったいぶってスイマセン)
書籍情報
本のタイトルは、『The Cotton Germans of Natal』(ナタールの「コットン・ジャーマン」)です。
著者は、ウォルター・V・フォルカー(Walter V. Volker) という人で、1人でこの本を書き上げました。
彼は南アフリカの歴史家・家系研究家で、ドイツ系南アフリカ人としてのルーツを持っています。
この本は南アフリカの出版社から出版され、言語は英語です。
コットン・ジャーマンのあらすじ(要約)
南アフリカの歴史というと、1800年代に、イギリス人やオランダ人(アフリカーナー)が入植した事が有名ですが、実はその陰で「コットン・ジャーマン(Cotton Germans)」と呼ばれるドイツ人たちが、国の発展に大きく貢献しました。
当時はイギリス領だった南アフリカのクワズール・ナタール州は、人手不足と産業不足に悩んでいました。
そこで、ドイツ人の実業家ジョナス・ベルグタイルという人物が、当時、経済的に苦しかったドイツ北部の農家にコットン(綿花)を作りに行かないかと声をかけます。
1848年、約35家族、190人ほどのドイツ人が「ナタール綿花会社」の募集に応じて、南アフリカへと渡ったのです。
これが「コットン・ジャーマン」の始まりです。
始まりはたったの35家族だったのか、と私は驚きました。
昔の話ですから、船での長い長い航海の最中に亡くなる方もいれば、生まれた方もいたようです。
興味があるかたは、⬇️のYouTubeをご覧ください。
The Cotton Germans of Natal, by Walter Volker,
https://www.youtube.com/watch?v=BQyzRkaA05c
その後のあらすじを10倍速で要約しますと、
期待していた綿花栽培は、害虫の被害や気候の不一致であっけなく失敗してしまいます。
彼らはすぐに野菜栽培に切り替え、成功を遂げました。
綿花の栽培には失敗したけれど、彼らは絶望して帰国するのではなく、現地の環境に合わせて自分たちを変え、新しいコミュニティを築き上げました。
そして現在、彼らの子孫の多くは英語やアフリカーンス語を話す「南アフリカ人」として同化しているのです。
東ケープ州やクワズール・ナタール州の古い教会や、ドイツ風の地名に、そのたくましい歴史の足跡を見ることができます。
このように、この本は、
ドイツのブラムシェ(Bramsche)という町から南アフリカへ渡った入植者たちと、その子孫の物語を2006年(出版当時)まで追いかけた膨大な記録なのです。
当時の入植者の家族がその後どうなったかという「家系(Genealogy)」について詳しく触れています。
そこでですね、
今回、家系と血筋が明らかになりました!
旦那さんの苗字はドイツ系ですが、何世代前から南アフリカにいたのかは知りませんでした。この本のおかげで、先祖はドイツから入植したコットン・ジャーマンだったという事が明らかになりました。
なぜなら、家系図に、夫の名前がバッチリ書かれているからです。
ロマンがありますね〜(と思うのは私だけでしょうか。。。。)
義両親はすでに他界していますが、
義父さんは、英語、アフリカーンス語、ドイツ語、コーサ語、ズル語を話す人でした。
義母さんは、英語とアフリカーンス語を話すアフリカーナでした。
ここには3人の子供がいて、それぞれの名前が記されていました。
もちろん、そのうちの1人は、私の夫です。
しかも長男の配偶者と、その5人の子供たちの名前まで、全て記されていました。
さらに驚くのは、次男(旦那さん)が結婚した私のフルネームまで記載されていたのです!
よく調べましたね。感動しかないです。
最後に
義姉によると、20年くらい前に、著者Walter V. Volkerが尋ねて来て、コットン・ジャーマンの子孫の人生を調査していることを知ったそうです。
それをふと思い出して、Whats Appにメッセージをくれたんだそう。
コットン・ジャーマンの歴史の1ページに刻まれたような気分になって、大変嬉しい気持ちになりました。
最後まで、私の感動話にお付き合い頂きありがとうございました。
それではまた。